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「マツナガ」先生のこと



                福本 2000年作成 2010年1月更新

 今は昔、ローカルなおはなしです。今から40年も前、日本の西の果てのある高
校の教室で、数III(高校3年の数学を当時はこのように呼んでいました)の授業
が行われていました。極限(limit)という概念について、我々50名の生徒は、
数学の教師の説明にしんと耳を傾けておりました。

 「...xが限りなく大きくなると、yは限りなく0に近づく。yは限りなく0
に近づくのであって、..決して0にはならない。...限りなく...限りなく
..近づく...」。御齢は40半ば、痩せ型の学者肌で、もの静かな教師の訥々
とした語り口には、数学の深遠な世界に我々を引き込むような、不思議な求心力が
ありました。「..限りなく..に近づく..」という言葉を聴くたびに、教室は
一種独特の静けさに包まれたものでした。

 本物の学問のもつ魅力と、それに触れることのできる大学へのあこがれとを、自
然にしみ込むように我々に伝えていた数学教師の言葉は、その後、視覚的感性豊か
な、ある小説題号へと生まれ変わって、全国に広まることとなりました(76年に
題号を目にしたときの最初の印象です)。「限りなく〜に近い〜」という表現は、
「限りなく黒に近い灰色高官」等の流行語をも生み出し、現在では日常語となって
います。

 高3の夏休みも近づいたある早朝、校舎が封鎖されるという事件が発生しまし
た。いつも遅刻すれすれに登校していた、ずぼらな私には、封鎖の現場を目にする
機会はなく、すでに片付けられた後でしたが...

 数日を経ずして、一人、二人と警察へ聴取に招かれてゆくなかで、我々のクラス
にも空席ができて行くという有様でした。村上龍之助(本名)もその一人、という
よりグループの指導者のように、周囲には映っておりました。その後、話題に上る
ときには、男子生徒の間では「村上たち」、女子生徒には「村上さんたち」で、ひ
とくくりに呼ばれていたように記憶致します。

 学校からは数ヶ月の謹慎処分を受けることとなり、卒業も危ぶまれる状況でした
が、我々のクラス担任でもあった数学の先生は、よく親身になって、処分を受けた
生徒一人一人への訪問を絶やされなかったようです。

 かの数学の松尾先生は、高2時代のクラス担任であった国語教師(岩永先生)の
名を半分借り、「マツナガ」という名で、自伝風の小説に登場されています。「マ
ツナガ」には、手術で肺臓の大半を切除されていて、教壇で熱弁を振るっては、ハ
アーッと苦しい息を吸い込んでおられた、個性的で感銘深い英語教師(小川先生)
のイメージも借用されています。


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