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音に「三原色」がないのはなぜ?



                福本 2000年作成 2009年12月更新

 光に三原色というのがあって、3種の色の混ぜ具合ですべての色が表現できること
が知られています。3つの独立な基本ベクトルで3次元空間のすべてのベクトルが合
成できるという線形空間に、色空間を例えることができます。テレビ等の画像記録、
伝送、再生技術では当然の前提とされており、三原色があるからこそ完成し得た技術
であるとも云えます。

 これに対して、音声には三原色に該当するものがありません。光が電磁場の振動波
で、音が媒質の弾性的な振動波であり、いずれも波であることに変わりはありませ
ん。3つの基本音ですべての音声を合成できれば、電話、蓄音機等の音声記録、伝
送、再生技術は、はるかに軽負担で進歩することができたであろう、と思われます。

 もともと、三原色の光を如何に混ぜ合わせても、別の色の単色光と同一の波形であ
るはずはなく、同一の色に見えるのは、人間の視覚の作用によるものと結論すること
ができます。いわば、人間の視覚がだまされ易くできていて、画像技術は、だまされ
やすい性質を巧みに利用したものと言うことができます。

 これに対して、人間の聴覚は、音の重なりを別の単音としてではなく、和音として
きちんと聞き分けができるように、だまされ難くできており、視覚よりもある意味で
高度に発達を遂げていると云えそうです。聴覚が視覚程度の発達段階にあったとした
ら、ひところの7和音を売りにしたケータイも不要で、音声技術にとっては誠に取り
扱いが容易となる反面、オーケストラの和声も単音の動きとしてしか認識されず、そ
もそも音楽が生まれる素地がなかったかもしれません。

 味覚ではどうでしょうか? 中国では味覚を、甘い、辛い、塩辛い、酸っぱい、渋
い、苦い、脂っこい、の7通りで表現しているようです。すべての味を、これら7つ
の重なり具合で表現できるのでしょうか? もしもそれが可能なのであれば、7通り
の味覚の素さえあれば、すべての料理を栄養はともかく、味覚上等価に仕上げること
が可能となります。現実は、それほど単純ではなさそうです。

 触覚ではどうでしょうか? ざらざらした触覚、滑らかな触覚、くすぐったい感
覚、刺されるように痛い感覚...。くすぐりながら刺すと、中和されて痛くもかゆ
くもなくなる、ということはあり得ないようです。

 人間のセンサー機能の研究は、どこまで進んでいるのでしょうか? いずれの感覚
器官も、環境に適応しつつ発達を遂げているはずで、様々な感覚器官を互いに比較す
ることで、人類へ至る進化の歴史も見えてくるのではないでしょうか?


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