Fukumoto International Patent Office


博多国出張のお供に



          福本 2005年11月10日作成 2010年5月更新

九州は博多地方でよく使われる以下の語句がお判りでしょうか? 1. 〜10. がす
べて使えるようになれば、博多国のネイティブスピーカレベル(英語のTOEICで
860点以上)です。博多国へのご出張の新幹線車中で、ちょっとクイズに挑戦して
みては如何でしょう。「異国」の旅が一層楽しいものになることでしょう。

1. なんばしよっと? (ご存じ?10年ほど前のNHKのドラマのタイトルです)
2. なかなかなか
3. そがんですばい
4. そいでくさ
5. とうぜんなか
6. そいばってん
7. しぇからしか
8. 〜のごたる
9. いっちょうながら
10. ごっかぶい

博多語は長崎語と極めて近い関係にあります。以下は、18の歳まで使い慣れてい
た長崎語の経験にもとづいた博多語の解釈です。ノンネイティブの解釈ですので、
独りよがりや、ずれが有るかもしれませんが、ご勘弁のほど...

1. なん・ば・しよっと? (何 を してるの?)

「ば」は、「を」と同じ意味の格助詞で、使い方が全く同じです。道を尋ねたりす
ると、「あの橋ば渡って・・・・(あの橋を渡って・・・・)」などと教えられたりします。

はるか以前に、全国新聞紙上で、博多語の「ば」の用法について、「そいば知っと
る」という使い方が例示されていたのを目にしたことがあります。しかし、博多語
のネイティブは、「そいば知っとる」とは、まず言いません。「そいば知っとる」
は、標準語に訳しますと「それを知っている」になります。標準語の「それを知っ
ている」と同様に、博多語法上、少々不自然に聞こえます。この記事は、博多語の
「ば」が標準語の「を」と同等であるという認識を欠いた誤った例示であったと言
えます。

「ば」は、古語「をば」の後半分に相当し、「を」は前半分に相当するもの、と解
釈すれば、全く同じ使われ方である理由が理解できます。3つの語の歴史的先後関
係は存じませんが、「ば」と「を」の密接な関係を考えれば、「をば」がこれら二
つの語をリンクする働きを歴史上果たしたであろう、とは容易に想像できます。

2. なかなか・なか (めったにない)

「良い」「嬉しい」「高い」「無い」などの形容詞は、博多語圏では、「良か」
「嬉しか」「高か」「無か」などと使われます。このように博多語法では、一般に
形容詞の終止・連体形の活用語尾は、「い」ではなく「か」となります。博多語圏
では、形容詞の定義は、終止形が「か」で終わる活用する自立語(用言)というこ
とになります。

これは、古語の形容詞の連体形「かる」が「か」へと短く変化し、終止形が連体形
と同一形になったものと解釈すれば、それほど奇異な語法でもないのでは、という
気がします。未然形(かろ)は、古語とは異なり現代標準語と同一ですが、連用形
は、関西語と同様に、「良う」「高(たこ)う」「無(の)う」などと、古語のウ
音便と同一です。

仮定形は、ほとんど使われません。使う場合には、現代標準語(けれ)と同じです
が、東京語を借りて使っているという感覚があって、本来の博多語には、仮定形は
ないのでは、という気が致します。「なかなか無か」は、「めったにない」という
意味で、日常しばしば使われる面白い三連同音句です。

3. そがん・です・ばい (そのようですよ)

「あのよう」、「そのよう」、「このよう」は、博多語では、「あがん」、「そが
ん」、「こがん」と言います。「そがん言わんでも良かでしょうもん。」(そのよ
うに言わなくてもいいでしょうに)などと使われます。「です」は東京語ですので、
この例はまるごと博多語ではなく、少しあらたまった「よそ行き」の表現と言えま
す。

かつて「長崎人」であった頃、「です」を使えば標準語、という感覚がありました。
店の売り場で、「値段の高かですね」(値段が高いですね)と言えば、よそ行きの
「標準語」を使ったつもりになれたものでした。「有ります」というべきところを、
「有るです」というように、動詞の連体形に断定の助動詞「です」を続けるのも、
ご当地流「標準語」の特徴の一つです。

「ばい」は、博多語法上、大変重要な終助詞で、標準語の間投助詞「よ」に近い使
われ方をします。それよりも、関西語で今でも使われている終助詞「〜わ」に非常
に近いと感じています。関西語の「〜わ」を、「〜ばい」に置き換えても、博多語
圏でほとんどそのまま通用します。標準語にも女性語としての終助詞「わ」があり
ますが、「ばい」は、どちらかと言えば男性語で、女性が好んで使う言葉ではあり
ません。

語源をたどれば、おそらく、「わ」と「ばい」は根が同じなのでは、と思われます。
他の多くの国と違って日本では、「わたしは・・です」と自分を主語にして話をす
る代わりに、最後に「・・です、わたし(われ)は。」と、控えめに付け加える習
慣が古来よりあって、それが、標準語の終助詞「〜わ」に変化したものと、何かで
(後述の柳田国男氏?)読んだ記憶があります。これが正しければ、「〜わ」は一
人称代名詞が変化したもの、ということになります。

お隣の佐賀では、「〜ばい」よりも、「〜ない」、「〜のまい」という終助詞が使
われます。「〜ない」は女性語であり、「〜のまい」は男性語です。「〜のまい」
は、「〜のう、お前」が短く変化したものであろうと容易に推測することができま
す。これは一人称ではなく、二人称代名詞が変化したものということになります。
佐賀の女性語の「ない」、博多語の「ばい」も、何らかの一人称又は二人称代名詞
が変化したものではないでしょうか..

4. そいで・くさ (それでね)

代名詞「あれ」「それ」「これ」は、博多語では「あい」「そい」「こい」と言い
ます。「くさ」は、標準語の「ね」に該当する間投助詞で、日常会話で頻用されま
す。「あのくさ、昨日くさ、道ばくさ、歩きよったらくさ、あの子にくさ、会うて
くさ、・・・・」(あのね、昨日ね、道をね、歩いていたらね、あの子にね、会ってね、
・・・・)などと使われます。頻度を少し誇張したこの例のように、博多語では、文節
の切れ目を見分けるには、「くさ」を入れるのが便法となります。

「くさ」と同義の「さ」も使われます。熊本(?)の手まり歌で、「あんたがた
(あなたのお家)どこさ、肥後さ、・・・・狸がおってさ、それを猟師が鉄砲で撃って
さ、煮てさ、焼いてさ、うまさでさっさ。」という、「さ」の言葉遊びが知られて
いますが、この「さ」と同義です。

音から判断すると、「さ」は「様」に、「くさ」は「貴様」に通じるような気が致
しております。だとすれば、佐賀の終助詞「のまい」と同様に、「さ」も「くさ」
も、二人称代名詞が変化したものということになります。

ついでながら、「そい」については、佐賀・長崎語には「そいぎんた」(それでは;
それなら)という、日常よく使われる表現があります。「じゃあね」という意味の
別れの挨拶として使われることもあります。「ぎ」は標準語の「なら」の意で、
「そいぎ」だけでも、同じく「それでは」の意味で用いられます。この場合には少
し長めに、「ぎい」のように発音します。佐賀・長崎外の「異国人」には分かりづ
らい言葉の一つであろうと思われます。

「そいぎんた」は、「そいぎ・あんた」(それなら・あなた)が短く変化したもの
と想像できます。「ぎ」は「なら」と同様に、副助詞としてだけでなく、「するぎ」
「すっぎ」(するなら)のように助動詞の仮定形としても使われます。助動詞とし
ての「なら」の終止形は「です」ですが、「ぎ」の終止形や他の活用形は見当たり
ません。仮定形以外は、はるか昔に使われなくなり、仮定形のみが今日まで使い続
けられたのでしょうか...

なお、東京語の「さようなら」は、「さようならば」(そうであれば)、「さらば」
は「さにあらば」(そうであれば)が変化したものと解釈するならば、別れの挨拶
の意味するところは、東京も佐賀・長崎も同じ、ということになります。

5. とうぜん・なか (徒然 無い = わびしい)

「とうぜん」は、ご存じ「徒然草」の「徒然」が日本の西の片隅に残ったものです。
吉田兼好法師が存命の頃、或いは少し前の京都では、「徒然なし」という語が流行
語として使われていたのだそうで、京都から博多までの距離よりも少しだけ遠く東
に離れた東北地方の一部では、「とぜんない」が、同じ意味で今でも使われている
そうです。この種の事実を最初に指摘したのは、かの民俗学の大家、柳田国男氏で
あると言われています。

博多よりも、むしろ隣の佐賀で多く使われており、京都から佐賀までが、約700
kmですので、新しい言語の伝播速度は、おおよそ1km/年ということになりま
す。東北のその地では、佐賀よりもまだ多めに京都から離れているにも拘わらず、
「徒然(とぜん)」がそのまま「とぜん」として残っているのに対し、逆に幾分近
いはずの佐賀では、「とうぜん」へと変化しています。関門海峡で足踏みしている
間に変化したのでしょうか...

6. そい・ばってん (そうだ けれども)

「ばってん」は、逆接の接続詞で、標準語の「けれども」「しかし」と同義です。
「いちんち待ったばってん、こんやったばい。」(一日待ったけれども、来なかっ
たよ。)などと使われます。「そいばってん」は、関西語の「そやけど」と同義で
す。

7. しぇからしか (うるさい)

「しぇからしか」は、形容詞の一つで、標準語の形容詞「うるさい」と同義です。
「うるさい!!」と怒鳴るときに、よく使われます。関西語圏の一部で使われる
「じゃか〜しやい」に似ています。ついでながら、長崎語では「やぐらしか」が、
これに対応します。「しぇからし」「やぐらし」...どのような漢字が当てはま
るのでしょうか。

なお、博多語を敢えて文字に書くとしたら、ネイティブは、おそらく「しぇからし
か」とは書かずに、「せからしか」と書くだろうと思われます。博多語では、「さ
しすせそ」は、「さしすしぇそ」と発音されます。ネイティブは、決して「しぇ」
とは意識しておらず、立派に「せ」を発音しているつもりなのですが、ノンネイテ
ィブには「しぇ」に近い音に聞こえます。博多国で少し年輩の方から「先生」と呼
ばれる機会がお有りでしたら、「しぇんしぇい」と聞こえるはずです。

8. 〜のごたる (ようである)

「ごたる」は、「ようである」の意の形容動詞形の助動詞で、古語の「如く(ごと
く)ある」が変化したものと思われます。活用については、命令形だけでなく未然
・仮定形も使われることがなく、連用形(ごと)・連体形(ごたる)・終止形(ご
たる)だけが使用されます。

このように、現代標準語の形容動詞とは異なった活用語尾を持ち、古語の形容動詞
「〜たり」とは、連用・連体形が共通しています。終止形は連体形と同一形へと変
化しています。「川の流れのごと」(川の流れのように)などと、使われます。

9. いっちょう・ながら (まるごと)

「いっちょう」は、「一つ」の意で、豆腐一丁の「一丁」です。「ながら」は、
「〜のまま」「〜全部」という意味の標準語の副助詞「ながら」と同義です。それ
ぞれの単語は標準語そのものですが、この組み合わせは博多語独特のものと云えま
す。

子供が、リンゴなどを人からもらったときに、遠慮しながら「一丁ながら食うても
良かと?」(まるごと食べてもいいの?)などと言います。

10. ごっかぶい (ごきぶり)

「ごっかぶい」とは、外国語のような響きがありますが、立派な内国語です。実は、
博多語としても使用されているか否かは、よくは存じておりません。ただ、お隣の
佐賀や長崎では使用されている呼び名です。東京語の「ごきぶり」については、
「ごき(御器)かぶり」が変化したものと言われています。「御器」とは、お椀な
どの食器を意味します。「ごきぶり」よりも「ごっかぶい」の方が、よほど語源に
近く聞こえます。遙か昔の京の都では、「御器かぶり」と呼ばれていたのであろう
と思われます。何とも優雅で視覚的な表現ではないでしょうか...

なお、佐賀では、今でも食器について「ごき(御器)」という呼称が残っています。
音の響きは良くありませんが、文字にすると印象は一変致します。日本の西の片隅
には、かつてのさまざまな京言葉が形を変えて残されており、生きた貴重な博物館
とも言えるのでは、と思っております。


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